荒川おもちゃ病院 尾花大司 ドクター
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■以下は、故人の人柄・思い出・エピソードをご紹介させて頂きます。
おもちゃドクター養成講座での出会い(粂谷誠さんの投稿)
わたしと尾花さんは、2000年のおもちゃドクター養成講座に参加した同期です。
当時、わたしの前に座っていたのが尾花さんで、それ以来の付き合いでした。
尾花さんがいると”場が明るくなる”の一言です。
気配りがあり、時にはおやじギャグを飛ばし、楽しいおもちゃ病院になります。
四谷で受付をして頂いたときにも、新しく来るドクターの名前をすぐに覚えて、必ず「〇〇さん」と呼んでいました。
気配りの原点を心得ている素敵な人です。
オトナが語る大人未来のメディアサイトより転載(https://smtrc.jp/otonamirai/vol8.html)
尾花さんのお姉さまと甥御さんが、荒川おもちゃ病院に、挨拶に来ていただき、お会いしています。
お姉さまからは、尾花さんが使っていた道具や部品一式を荒川おもちゃ病院に寄附をいただき、活用させて
頂いています。
尾花さんから寄付された道具や部品の数々
生前、尾花さんは、お姉さまとお会いする度に、おもちゃ病院の話をしていたそうです。
よい生き甲斐を見つけたと、お姉さまはとても喜んでいました。
特に、荒川おもちゃ病院での話が多かったようで、どんな様子だったか、話を聞きたいと何度も荒川おもちゃ病院
にお見えになりました。
田中啓さんとは、荒川のおもちゃ病院で、おやじギャグ仲間でしたね(笑)
荒川のおもちゃ病院での出会い(田中啓さんの投稿)
わたしが、荒川おもちゃ病院に行き始めたのは、四谷で尾花さんから、荒川に来ないかと誘われたのがきっかけです。
そこから荒川おもちゃ病院にいろいろな人が増えていきました。
尾花さんは、よく、「荒川の仲間」という言葉を口にしていました。
荒川おもちゃ病院の近くには伊勢屋という小さなお店があり、お昼には、そこのお弁当をみんなで買って食べながら、
「この荒川おもちゃ病院で、毎週一日を一緒に過ごし、同じ昼飯を食べて…」と、笑顔で、ちょっと自慢げに語っていた
のを覚えています。
尾花さんは、なにより子供たちが大好きでした。子供さんへの接し方を見ていると、慈しむという言葉がふさわしく
言葉遣いも表情もとても優しく、しゃがみこんで、子供目線になって話しをしている姿をよく見ました。
子供に良いおもちゃを! という考えを持っている人でしたので、縁のあった幼稚園のおもちゃ修理も手がけていました。
その幼稚園では木のおもちゃを扱っていました。
荒川おもちゃ病院での様子
わたしが、たまたま、その幼稚園のおもちゃの修理を引き受けたとき、つなぎ部分の強度に問題があると思い、良かれと、
ちょっとした改良を施しました。
それを見た尾花さんは、作った人の思いを尊重すべきと、教えてくれました。
尾花さんは、木のおもちゃ独特の特徴や作り手のこだわりやお気持ちなどをよくご存知でした。
わたしは、「なるほど!そういう視点があったのか!」と、オリジナルの状態を残すことが作者への礼儀だということを
尾花さんから学びました。
尾花さんの半田付けも印象に残っています。釣りゲームの針の銅線の半田つけしたものでした。
なんとも美しい半田つけでした。今でも目に浮かびます。
また、工具や材料への関心が高く、面白いと思った工具や材料はすぐに購入し、試していました。そのため、荒川
おもちゃ病院には、尾花さんに購入して頂いた工具がたくさんあります。
楽しいお酒と語らい
そして、尾花さんは、お酒好き。
といっても、優雅に、ほどよくお酒を嗜みつつ、おしゃべりを楽しむ人です。
わたしも尾花さんに、浅草のカミヤバーに、何度か誘われて行った思い出があります。
おもちゃ修理で、こんなことがあった、あんなことがあったと、おもちゃ修理は、これだから、楽しいんだよね! という
オチがいつものパターンでした。
ほんとうに楽しいお酒でした。
尾花さんには、上野あたりに行きつけの飲み屋さんもあったようです。
そこで大学教授の方とも、話が意気投合したようで、すぐに友達になってしまったと聞きました。
それに江戸散策のグループで、文化や歴史の勉強もしていたと聞いています。主催する先生をとても尊敬していました。
原子力発電のテーマや江戸の文化、飛行機など、尾花さんは、ほんとうに多趣味で、知的好奇心や探究心の尽きない人
でした。
尾花さんは、人との楽しい会話をとても大切にしている人です。
そして尾花さんにとって、おもちゃドクターは、特別な重みを持っていたと、わたしは、感じました。
わたしは、尾花さんの遺品であるリーマーを貰いました。いい道具です。
それを手に取ると、いまも尾花さんの声が聞こえてくるようです。
四谷のおもちゃ病院での出会い(林よう子の投稿)
わたしが最初に、尾花さんに出会ったのは、四谷おもちゃ美術館の病院でした。
ドクターになって5年ほど経った頃だったと思います。
はじめて訪問したおもちゃ病院で緊張していたわたしでしたが、尾花さんは、誰よりも、まっさきに、笑顔で、わたしに
声をかけてくれました
「はじめまして、僕は、尾花といいます。名前はなんて呼べばいいかな? 。ここの病院はねえ、たくさんベテランドクターが
いてね、とても勉強になるんだよー! よろしくね」と、優しく声をかけて頂き、本当に安心したのを覚えています。
ここ四谷のおもちゃ病院では、お昼は、みんな各々お弁当やおにぎりを持ってきて自席で食べていました。
お昼時間近くになると、尾花さんは、みんなに声をかけてくれます。
「みんなお昼だよ!ご飯の時間だよ」
そして、お昼を食べ終わると、お弁当のプラスティックの入れ物のゴミがでてしまいますよね。
それを、尾花さんは、ご飯が食べ終わった頃に、
「お弁当ゴミ頂戴!、まとめるからね!」
といって、みんなのゴミを率先して集めてくれていました。集めるときも、みんなに一言づつ声をかけながら。
そして、プラスティックゴミをしっかり小さく押しつぶし、ひとつにまとめて、小さくひとまとめにしてくれていました。
みんなのゴミを率先して集めてくれるなんて、だれにでもできることではないと、わたしは思います。
尾花さんに申し訳ないと思いつつ、その行為に、いつも、わたしは甘えていました。
尾花さん、ありがとうございます。
東京ホームタウンプロジェクトより転載(https://hometown.metro.tokyo.jp/post_time/vol-18/)
(一番右側手前が尾花さん)
反省会
そして、おもちゃ修理が終わったあと、帰りがけに、尾花さんは、わたしに声をかけてくれました。
「いつもね、僕たち、反省会をしてるんだよ、よかったら参加しない? ね! いこう!」
わたしはさっそく反省会に参加しました。
反省会の行く先は、四谷のおもちゃ病院近隣にある日高屋でした。
「毎回、餃子を一皿頼んでね、生ビールを2杯頼むんだよ!」
尾花さんはニッコニコしながら、わたしに教えてくれました。
さっそく、餃子をつまみに、ビールを飲みながら、おもちゃの修理の話を中心に盛り上がりました。
こんな修理があった、ここは大変だったなどなど。
なるほど、そんな治し方があったのか!など、勉強になることもたくさんありました。
そして、尾花さんは、とても多趣味で、最近あったいろいろな出来事を話してくれました。
とくに、荒川のおもちゃ病院のことをいつも楽しそうに、わたしに教えてくれました。
本当に楽しい時間をくださったこと覚えています。
わたしも尾花さんのいる荒川病院に一度行ってみたいな、、と思っていましたが、結局行くことは、叶いませんでした。
尾花さん、優しくしてくださり、本当にありがとうございました。
尾花さんがいてくれたお陰で、わたしは、おもちゃ病院で、緊張せず、楽しくいられたんだと思います。
思い出のお写真(田中良明さんの投稿)
四谷おもちゃ病院やその他でも、尾花さんとご一緒だった田中良明さんから、お写真の投稿をいただきました。
左手前が尾花さん、右手前は田中啓さんです。笑顔がサイコーですね!
熱心に修理をしていますね。
右側は粂谷誠さんです。
楽しそうにしていますね。
左側は初代会長の松尾 達也さんです。
お客さんに説明しているところでしょうか。
みんなで知恵を絞っているところかもしれませんね。
このたびは、過分なるご寄附を頂き、誠にありがとうございます。
尾花さんのご親族さまへ
このたびは、温かいご寄付、そしてご支援を頂き、誠にありがとうございました。
弊協会一同、心から厚く感謝申し上げます。
おもちゃのお医者さんの次世代に向けて、手を差し伸べてくださったこと、
感謝の気持ちでいっぱいです。
弊協会では、支援のニーズに対して、コロナの影響もあり、現状、寄附金が追いつきません。
まだまだ多くの、おもちゃ修理を待っている方がいらっしゃいます。
このような中、お寄せ頂いたご厚意は、3Dプリンタをはじめとした特殊部品や機材などを中心に、
大切に活用させて頂きたいと存じます。
おもちゃ病院協会の活動は、尾花さんのご親族さまをはじめとするご賛助頂いている皆様からのご厚意に、支えられております。
あらためまして、この度は、本当にありがとうございました。
おもちゃのお医者さんについて。。。
わたしは、おもちゃのお医者さんというのは、とても大切なボランティア活動だと思っています。
わたしの尊敬する大切な師の言葉を思いながら、書きたいと思います。
現在の日本では、おもちゃは、たくさん売られていて、そして溢れかえっています。
そのため、一般的には、「おもちゃが壊れたら、新しく買う」と考える方が多いと思います。
壊れたら、諦めるか、交換。修理するほうが高くつくという場合もあるかもしれません。
でもそれは
「おもちゃ」=「モノ」
「壊れた」=「ゴミ」 という発想にもとづいた考え方だからかもしれません。
おもちゃ病院に、おもちゃを持ってくる大人たち、子供たちは、「おもちゃ」に、強い心の結びつきを感じて、
訪ねてくる方が多いとわたしは思います。
子供たちにとって、壊れたおもちゃが治ることは、子供たちの心の傷を治すことに通じるのかもしれません。
おもちゃを「モノ」ではなく「心の結びつき」と考えれば、子供たちにとって、「豊かな心の感受性を育てる」
ことにもつながるのではないでしょうか?
そして心の結びつきは、子供たちだけに限りません。
大人にとっても、「昔の懐かしい思い出のおもちゃ」や、お人形などに代表される「心の家族や心の支えの
おもちゃ」など、さまざまな思いや記憶を持った「おもちゃたち」がたくさんいます。
それらを想像したときに、「おもちゃを治すこと」は、「心の傷を治すこと」。
おもちゃのお医者さんとは、人の心を豊かにすることができる、大切な取り組みだと考えます。
おもちゃのお医者さんは、みなさまの大切なおもちゃの修理を通して、
お医者さんも、患者さんも、同じように喜びを共有し、心の傷を癒す、かけがえのない活動だと思っています。
WEB担当 林よう子